今回は芦沢央さんの『汚れた手をそこで拭かない』を紹介します。
第164回直木賞候補作で、収録されている『ただ、運が悪かっただけ』『埋め合わせ』はそれぞれ日本推理作家協会賞短編部門候補になっています。
タイトルといい、装丁といい、どこかゾッとする美しさ。
気になって、文庫化を心待ちにしておりました。
芦沢さんのミステリーは予想外展開が多くて、いろんな意味で程よくゾッとさせられて、たまらないです。
帯に話題沸騰の「最恐」ミステリと書かれていますが、もしかしてホラー系なのかしら……?
目次
あらすじ
日常の見過ごしてしまうほど些細な謎を、突き詰めていくと見えてくる真実。
油断や保身から、とんでもない事態へと転がっていくゾワゾワとドキドキの短編集。
感想
どのお話も読みごたえがすごかったです。
どれが一番良かったかなんて選べないくらい、全部印象的でした。
日常の、無視することだってできる本当に些細な引っ掛かり。
それを集めて並べて、繋げていくと、息をのむほどに驚愕の真実が浮かび上がる。
そんな心理が潜んでいたのか……!
と度肝を抜かされます。
その感覚がゾワゾワするのだけれど、驚きから来るスッキリもあるのです。
そして主人公たちが追い詰められていく状況が、逃げ道の見つからない状況が、とてもスリリングで、帯の「もうやめて」の意味が身に沁みる思い。
保身のために取った言動や油断は、人間の醜い部分、つまり「汚れ」とも言えます。
この5話に共感できる時点で、誰しもその手は汚れているはず。(言い方悪っ)
生きていれば汚れるのですよ。
ではその汚れは、どこで拭けばいいのか。
いや、拭く場所なんてどこにもない。
汚れた手を拭かずに生きていくしかないのですかね。
どのお話も書き出しが秀逸でグイっと引き込まれます。すごい。
何が起きているのかわからないまっさらな状態で、意味深な心理描写がぶっこまれる。
良からぬことが起きているという予感を瞬時にさせるのに、意外にもただの日常の一コマだったりする。(クライマックスでは事が起きるけれど)
芦沢さんに心踊らされるのであった。
※ネタバレ区域※
ここからは、見どころを伝えるにあたりネタバレ(からくり)に触れていたりするので、未読の方は気をつけてください!
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『ただ、運が悪かっただけ』
滑り出しに怪談味を感じましたが、全然そんなお話ではなかったので、怖いの苦手な方もご安心を。
私も読んでいて引っかかったんですよ。中西さんの最後の言葉に。
中西さんは自分に自信満々で、どうしてこの俺がこんなことでドジを……と悔しがっていたのかなと思ったのですが、どうやらそんな単純なことだけではなかったらしく絶句です。
死を前にして、今まで信じていたものが、誇りが、砕け散った。
このような形で、自分の無敵説は違ったのだと、あっけなく証明されてしまった。
その屈辱は、とてつもなかったでしょうね。
娘としては、渾身の一撃をくらわせた気分だったはず。
殺意を持って誘導したのではなく、あなたがそんなに言うなら証明して見せなさいよという持って行きかたが新鮮。
結果としては事故死として変わりないけれど、裏話が明らかになると印象がガラッと変わりますね。
『埋め合わせ』
一番スリリングなお話でした。
主人公の緊迫感や焦りが伝染してきて、一緒になってハラハラドキドキでした。
伝えなきゃ。でも伝えるのが怖い。
という葛藤の中で、物理的に伝えられなくなった時の心境。
腹の底で何かが蠢く。後悔なのか安堵なのかは自分でもわからなかった。
本文P71より
これがもう、すっごいわかる。まさにこの感じね。
伝えるチャンスが断たれてプチ絶望感あるけれど、伝えずに済んで、もしかしたらやり過ごせるかもという安堵も同じくらい。
白状するって、ほんとエネルギーいるものね。
五木田の飄々とした態度と、それとは裏腹な鋭さに、私もハラハラ。
こんなあっさり協力してくれるなんて絶対何か企んでるぞと思ったけれど、私はせいぜい「その代わりお金貸してくれない?」とか、今後あらゆる面倒ごとを押し付けて脅し材料にするのかなと思っていました。
そしたらよ。
まさか自分の家庭事情の埋め合わせに、この事件を利用するとは!
この被害額では足りないから、さらにミスを増大させるという小賢しさ!
五木田の方が悪知恵(隠蔽工作)が何枚も上手でした( ゚Д゚)
感心することじゃないけれど感心しちゃう。
『忘却』
中でもマイルドな内容ですが、それでもゾワッとするのはお約束。
笹井さんの督促状の金額があまりにも低いなという違和感は、私も察しました。
でも、まさかそんなからくりだったとは。
人は見かけによらずですね。
しれっとこんなことをしていたなんて、と勝手に笹井さんに失望しました。
始めはきっと些細な気持ちで、でも最終的にはそれすら忘れて。
強い悪意も怖いけれど、こういうのも地味に怖いです。
自業自得ではあるけれど、我が家の電気の使い方が原因で死なせてしまったと気づいてしまうと、とんでもないことをしてしまった感が否めないでしょうし、トラウマにもなりそうですよね。
自分たちが悪いわけじゃないけれど。むしろ被害者だけれど。
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『お蔵入り』
急にサスペンス! と思いきや、そういうことね。
緊迫感が本物過ぎて、初っ端からドキドキしちゃったわ。
まあでも、結局サスペンス展開にあれよあれよと転がってしまうのですが。
なんと呆気ない。
証言者の意図が最初はとても謎だったけれど、小島との絡みを知った瞬間に、私はもうピンと来ちゃいました。
だってわかるもん。日野さんのお気持ちが。
たとえその当時は表面上ノリ良くやり過ごしたとしても、あんないじられ方は屈辱的だろうし、相当メンタル強くないと本心であんなノリできないっすよ。
そりゃ根に持ちますって。
でも、さすがに彼女が真相を知っていたっていうことには驚かされました。
作品を守るために交渉しに来たつもりが墓穴を掘ってしまう形になってしまったという皮肉な展開に、さすが芦沢さん……と感心してしまうのでした。
『ミモザ』
不気味人物オンパレードか。
元彼が本題を切り出した時はもう、背筋がゾワゾワっとしましたね。
そういう魂胆か! プライドないのか!
と言いたくもなるのですが、どんどん嫌な感じフラグが立っては過ぎていく。
主人公もプライドや優越感から来る油断でまんまと……。
何しているのよ。貸したらもうこの男から抜け出せないわよ。
と思いながらも、実際こんな展開になったら自分だって断れるか怪しいです。
お金絡みのことなんて、ろくなことにならないということは当たり前なのに。
さらにゾワゾワっとさせたのは、元彼の「おまえはいつもこっち見ないもんな。息止めてるし」という言葉。
元彼は今、清掃員をしていると言っていたことが瞬時に思い出されて
え、あなた、このマンションの……!?
偶然なのか、計画的なのか。どちらにしても、不運なことに知らぬ間に住居は把握されていたのだから、こわいこわい。
旦那さんも気づいていて言及せず、遠回しに「ちゃんとして」と言うのだから、不気味よね。
彼女は元彼に何もしていないのに、なんでこんなことをするのか。
その訴えに対して元彼が放った言葉。
「悪いことをしたから悪いことが起きるとは限らないんだよ」
本文P263より
正論だ。
何かしたからという根拠や理屈を探って繋げがちだけれど、別にそれだけが原因とは限らない。
何もしていなくたって起きるものはは起きるのだ。
シンプルな一言なのに、ゾッとしてハッとする。
最後に
日常の些細な引っ掛かり(謎)に繋がっている予想外な真実が、本格ミステリーとはまた違った衝撃と快感を与えてくれて楽しかったです◎