今回は寺地はるなさんの『川のほとりに立つ者は』を紹介します。
NetGalleyランキング3部門、読書メーターで第1位を獲得。
そして2023年第20回本屋大賞ノミネート作です。
出版時から、美しい表紙に惹かれて気になっていましたが、この感じだと物語の方も素敵そう。
タイトルもかっこいいです。
優しい言葉で大事なことを気づかせてくれるイメージの寺地さん。やはり期待してしまいます……!
目次
あらすじ
自然消滅しそうな関係の恋人が意識不明の重体で病院に搬送されたという連絡を受け、駆けつけた。
親友と喧嘩になったというが、彼の人間性や親友との関係性から、どうしてそんなことになったのか謎であった。
そこで更に、自分は恋人のことを詳しく知らなかったという事実にも気づく。
喧嘩別れになった原因の「彼の隠し事」は何なのか。
そしてあの事件は、本当に親友2人の喧嘩だったのか。
感想
ストーリー性もすっごくいい。けれどそれにプラスして、現代の人間関係問題、障害などの個性についてのメッセージ性もなかなか胸を打たれて考えさせられます。読後も頭から離れません。ガシッと掴まれます。
つまり、全体的に素晴らしい!(上から目線、失礼します)
寺地さんって、今大事なことに気づかせてくれる、目を向けさせてくれる物語を描いてくれる方なんだなと改めて感じました。
まずは物語のことを。
彼が何を隠していたのか、親友と激しい喧嘩をするなんて一体何があったのか、天音は何を考えているのか、などのミステリー要素を含んでいるので続きが気になって夢中になってしまう魅力的な構成。
前半は謎に包まれた言動のオンパレードで、ソワソワしてしまいました。
ただ察することができるのは、この喧嘩事件は単純なものではない。他の真相がある。深く隠れている何かがある。それだけ。
主人公と彼の視点で交互に進行し、彼の視点でだんだん事の次第が見えてきます。
彼が隠していたことも、隠し通していた理由も、天音との接点も。
親友同士の信頼や絆、大切な人を純粋に守りたい、救いたいと思う気持ち。
すごく素敵な心を持った彼らですが、それが仇(あだ)となって起きてしまったこの事件。かなしい。
でも最後に、彼らは知らないままですが、ちゃんと彼女を救えたんだなと思わせてくれる温かいシーンがあったので、ちょっと嬉しい。
彼女の中で彼らが無かったことになっていなくて、少しでも幸せを感じた思い出として大事にされていて嬉しい気持ちです。
思わぬミステリー要素のおかげで、想像以上に楽しめました。
そしてこの物語のテーマみたいなものについて。
他者を表面上の印象で判断すること、自分の価値観で相手のことを決め付けることの危うさと傲慢さ。
このお話にはADHDやディスレクシア(発達性読み書き障害)が登場します。
現代では認知度が上がって「個性」と言われて受け入れられているのですが、一昔前は「当たり前のことができないなんて」「努力が足りない」と酷い認識でした。
理解あるはずの現在だって、表面上はわからないから、本人がカミングアウトしないと「なんでできないの」と責められる現状です。
カミングアウトしても今度は腫れもの扱いされて、それはそれで問題で。
ただ言えることは、できて当たり前のことなんてないということ。
自分や大半の人ができることでも、できない人はいるということ。
努力が足りないんじゃない。脳の構造の問題だから、努力してもできないこともある。
だから相手に「自分の当たり前」を押し付けることは傲慢で、相手を追い詰めてしまう危うさを含んでいる。
これからも人と関わっていくのだから、このことをいつまでも肝に銘じておきたいと思いました。このお話を読んで改めて、いや、今までよりももっと強く思いました。
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そして、この問題は障害や個性だけではありません。
このお話で言うならば、天音やその元恋人も表面上は最低なんだけれど、それぞれ事情があったり、育った環境に恵まれていなかったとか、運がなかったとか。
悪い面だけを見てその人を決めつけてはいけないとわかっていても、冷静に考えないとそう思えないので、人間まだまだです。
「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで」
本文P161
主人公の親友、篠ちゃんのお言葉です。
まさにそれよ!
どんな人でもいい部分と悪い部分を持っていて、元気な時はいい部分を発揮するけれど、余裕ない時は悪い部分が出ちゃう。
本当の自分はこんな人間です! の「こんな」は不確か。コンディションによって変わるのです。
篠ちゃん、ハッとさせられる名言を他にも発言しています。
「よく気が付つくぶん、人に気を遣う。でもその気の遣いかた、まちがってると思う。だってあんたそのせいで感情を消化できずに、しょっちゅう爆発してるやん」
本文P94より
私も似たようなことを言われたことがありまして、思い出してハッとしました。
他者を優先にしてしまって自分を疎かにしてしまう。結果、心が荒んでしまって情緒が乱れる。
それって結局、そこで他人にも迷惑をかけるし、自分にも良くない。
自分をもっと大事にしよう。不満に思うことも気にしないでちゃんと伝えよう。
このお話の中で、痛いところを衝かれたなと思った部分第一位がこの部分。
誰の手を選ぶかも手を取るタイミングも、その人自身が決めることなのだ。「せっかく助けてやっているのに」と相手の態度を非難することは、最初から手を差し出さないことよりも、ずっと卑しい。
本文P214より
こちらも価値観や固定概念の問題になるのですが、助けの手を差し伸べたら、受け入れるべきという考え。これも危ういのだなと気づかされました。(お恥ずかしながら……)
手を差し伸べられても、それを受け入れなければならない。なんてことはない。
その手を取るのか、その手が必要なのかは、差し伸べられた側が決めることで、差し出した側が強要することではない。
拒まれる可能性も頭に置いてから、手を差し伸べる。こちらも肝に銘じよう。
作中に登場する『夜の底の川』の一節で、この作品のタイトルにもあるこちら。
”川のほとりに立つ者は、水底の石の数を知り得ない。”
水底の石はその人の感情を例えているのかなと思います。
川のほとり(その人の表面、外側)に立っていては、その人の感情を知ることができない。
水底に入っていかないと、その人を知ろうしないとわからない。
そういう意味なのかなと、私は解釈しています。
そして純粋に『夜の底の川』を読んでみたいな~。
最後に
定期的に何度も読み返したいくらい大切なことばかりで、他者と向き合うための教科書のような素敵なお話でした。
他者を理解して、価値観の押し付けや表面上で人を判断しないように意識していこうと思わせてくれます◎
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