書店では平積みされてよく目にしますし、SNSやメディアでも話題になっているので、ずっと気になっていました。
発表から随分経っていますが(1989年)、現在も話題になるほどの存在感を放つ一冊でございます。
目次
あらすじ
ある作家が虚構に身を置いて、ある実験をする。
その世界では一文字ずつ音(おん)が消え、その音を含む言葉や物や人も消滅する。
少しずつ言葉が消滅していく世界は、最終的にどうなるのか。
当たり前にあるものが失くなった世界の先を描く実験的小説。
感想
まず、
この試みがぶっとんでいる。
これ小説だよ? 文字がないと成り立たないよ?!
いやこれ一体どうなってしまうんだよ。由々しき事態だぞ……。(途方に暮れる)
不安に思いながらも読みました結果、普段は当たり前にある全てのものが愛おしくなりました。(急に落ち着いたテンション)
音が消えれば、その音を含む言葉も消える。
その音を含む名前を持つ物や人も消える。
一音ずつ消えていくことで、じわじわと喪失感が押し寄せてきます。
たしかに何かが失くなった。
その「失くなったもの」の存在が、微かに記憶には残っている。
まさに残像のように。
そうしてどんどん、周りの全てが残像と化して、後に残像すらなくなるのです。
忘れてしまうのです。
残像が残っている間は、奇妙な違和感と喪失感で、不安や焦燥、悲しみが襲ってきます。
残像すら消えると、もう心にも残らない。
切なくて寂しい世界だな……。
愛する大事な人たち(家族)が消えた時が一番しんどかったです。
愛していたのに、それでも彼女らの名前の音が消滅すれば、例外なく残像と化し、やがて忘れ去る。
虚しいです。
段落ごとに、ここではどの音が消えるのか提示してくれています。
それをヒントに、作者が伝えたがっている「消失した言葉」が何なのかを考えるのが、クイズみたいで楽しいです。
終盤に向かうに連れて、消失言葉が半分以上になったころには、回りくどい表現がたくさん出てきて、なんだかややこしくなり、皆が(自分含め)混乱している様子もちょっと可笑しくておもしろいです。
音が消えることで言葉も消えるということは、説明も会話もままならないのです。
語彙力がない、どころではない。
何を言っているのかわからなかったり、まともな日本語になっていないレベル。
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これは意外な実験結果(?)だなと思ったことがあります。
それは
音の消失は、個人の人格をも変えてしまう
という事実です。
ことばを和らげ、やさしくする音が消えてしまったのだものな。まるで好きな女に去られてしまったような寂しさだ。
本文P128より
丁寧語や言葉の言い回し、ニュアンスとかで、その人の雰囲気のイメージが大体見えます。
音が消えたことによって、選べる言葉や語尾なども限られてしまう。
その結果、やわらかく喋る印象の人でも、乱暴な喋り方しかできなくなったりするのです。
喋り方の個性が失われるのです。
これは考えもしなかった、予想もしなかった事態!
残っている音が残り僅かになった辺りで、主人公が人間ではない壊れかけたロボットのようになっていき、最終的には……。
ゾッとしました。
音が消えるって、こんなに怖ろしいことなのか。
ちなみに、壊れかけのロボットのようだと言いましたが、それもそのはず。
音がなくなって、言葉が継ぎ接ぎみたいになることもその要因ですが、「人間」が消えたわけですから。
主人公は人間。「人間」に含まれる音が消滅すれば、主人公の存在さえも曖昧なものとなるのです。
ああ、おそろしや……!
タイトルの「残像に口紅を」とは
音が消滅して、存在が残像になってしまった(まだ化粧をまともにしたことのない)娘に、せめて化粧を……
という感じの場面がありました。
この事がタイトルになったのか、はたまた、残像と化すもの全てに音を与えなおしたいという意味で、音を発する部分である口に紅(色)をつけ、取り戻したいという気持ちなのか。
そこのところも考察し甲斐がありそうです。
他の意見ありましたら是非教えてくださいな!
でも表紙の人物はきっと、その娘さんだろうなと思います。勝手に。
最後に
設定がややこしかったりして難しいお話でしたが、この発想はとにかくすごいです。
音が徐々に消滅していく世界、一度ご堪能あれ◎
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